僕が見ている喫茶店
2008年9月20日
誰も見ているはずのないこのホームページに
開店日のみを記載して
誰に告げる訳でもなくひっそり
情けない僕の身の丈にあったそんな幕開けが
君と僕の喫茶店の始まりです
ちゃんと喫茶店をやる覚悟がなかった訳ではないのですが
ちゃんとした喫茶店は誰かに任せれば良いし
ちゃんとした形にこだわりたいなら
ちゃんと初めからそうしている訳で
ちゃんとお店になっていないところが
実は僕の良いところだと信じていて
そんな可笑しなプライドと自信がそうさせてか
特に張り切って宣伝をする訳でもなく
おかげで最初の三年くらいは
お世辞にもとても大繁盛とは言い難い状況で
ちゃんと胸張って「商売」と呼べるだけの稼ぎもなく
見る人によっては惨めに映った事でしょう
まだこの辺では「あたらしい事」だったのでしょうか?
僕が想い描いた喫茶店は子供騙しの夢物語だったのでしょうか?
「こんなところでやっていける訳がないよ」
「そんな夢みたいな事、絶対やめた方がいいよ」
「それじゃあ絶対に稼げない」
「うまくいくはずがない」
せっかく人が一生懸命に「喫茶店しよう」としているのに
本当にたくさんの人に笑われたり心配されたり
時には心無い陰口さえ聞こえて来る事もありました
「生まれながらのロックスター」
何をしてても悪目立ちますからね
これ見よがしにと
揚げ足を取りたい人は山ほどいた事でしょう
きっと大抵の人は心の何処かで
「失敗」して欲しかったと思うんです
そりゃあそうですよね
誰だって一生懸命に生活しているのに
「こんなバカげた喫茶店」が許されて良いはずなくて
「ざまあみろ」または「可哀想に」
そんな風に思われている事は
わざわざ面と向かって言われなくとも
僕が誰より分かっているつもりでした
もちろん「そういうの」が悔しくない訳がありませんでした
でも「そういうの」があってくれたおかげで
「パンクでロックな喫茶店をオレが作ってやるよ!」って
「カフェの固定観念なんてオレが全部ぶっ壊してやるよ!」って
「オレは絶対負けを認めない!」
「そういうの」が「そういうのに反発する力」にもなりました
だってここは
「どこにも属せない僕らの何にも属さない喫茶店」であるべきだからです
とは言え、根拠のない自信は幾らでもあるくせに
何をどうしたらお客さんがたくさん来てくれるのか
何をどうしたらわざわざ400円、500円払ってまで
こんなところでコーヒーを飲んでくれるのか
「喫茶店だけして生活を続ける君と僕の姿」を
僕はただただ「夢見るくらい」しかできませんでした
現実は残酷ですからね
どんなに「理想」を想い描いても
どんなに「良い夢」を見ていても
お客さんが来てくれない事には仕方がありませんよね
土日はまだしろ平日なんかは本当に情けないもので
何時間もお客さんが1人もいない店内で
僕はいつも退屈しのぎにここで記事を更新していました
それくらいでしか「そういうの」と
「戦う術」が思いつかなかったのだと思います
そうでもしていないと
自分が」負けた気」になりそうだったからです
誰が読んでくれているのか分からない
何と戦っているのかも分からない
でもきっと誰かがきっと読んでくれているはずの「この夢物語」が
君と僕が喫茶店で生きていこうとしている事の証で
良い夢も悪い夢でも夢は見ていた方がいい
君と僕の喫茶店の「夢の続き」が
確かにここにはあったのです
誰に届いていたのかは分かりません
どこかで神様でも見てくれていたのかも知れません
まるで見えない力に導かれているかのように
スマホの中にもう1つの世界があったかのように
どこで見つけてくれたのか少しづつお客さんが増えてくれて
ありがたい事に少しづつ少しづつ忙しくなってくれて
おかげで僕はちっとも退屈しなくなりました
オープンしてから4年目、2012年を最後に
僕はここに自分の気持ちを書くのを辞めました
個人的なブログの方は辛うじて続けられましたが
公式で自分の気持ちをわざわざ書くのが
どうしてか嫌になってしまったのです
退屈を忘れてしまったからでしょうか?
どんどんと時間だけが過ぎてしまったのでしょうか?
やりたい事がやらなきゃいけない事が増えたのでしょうか?
ちょっと売れた気で「なにものか」にでもなったつもりなのでしょうか?
それとも「なにもの」にもなれない事にようやく気が付いたのでしょうか?
どんなに自分を探しても自分なんか見つからない
あんなに信じていたはずの「揺るぎない何か」に
本当は何の意味も価値もなかったのだと
そんな風に悟ったつもりだったのかも知れません
とは言えお客さんは相変わらずに遊びに来てくれました
それどころか年々お客さんの数は増え続けてくれました
これがみんなの言っていた
「うまくいった」と言う事なのでしょう
今回突然に
今まで使っていたホームページサーバーが閉鎖される事になり
今こうして大急ぎでホームページの引っ越し作業をしています
半ば強制的ではありますが
新しいところに行くチャンスを与えてもらい
古くていらなくなったものを
捨てていかなければならなくなりました
大事なものだけ抱えつつ
「あたらしい君と僕の喫茶店」の始まりなのです
でもね
果たしてそれで本当にいいのでしょうか?
「前」ばかりを見て
それが「本当にいい事」なのでしょうか?
もちろん幸せも思い出も
両手で抱えられるだけしか持ってはいけません
でもだからって
残された過去に背を向けるような事が
どうして僕に出来るでしょう?
リセットしたい思い出はたくさんありました
リセットしたい感情も腐るほどありました
「これを機に」って
「良いきっかけだ」って
そんな気持ちがなかった訳ではありません
でもそれが
果してそれが
僕の愛する喫茶店のあたらしい姿で良いのでしょうか?
「僕が見ている喫茶店」
我ながら抜群のセンスで名付けた
こんなにも美しいタイトルのこの世界は
ついつい読み直したが最後で
僕が愛した「喫茶店」が確かにそこにありました
もちろん「古くていらなくなった思い出」かもしれないけど
それでも「君と僕の喫茶店」と名乗る限り
それは決して忘れちゃいけない思い出な気もして
過ぎ去った過去のひとつひとつを
あの時感じた独りよがりな感情のひとつひとつを
ちゃんと抱きしめようと
ちゃんと宝物にしようと
その方が良いと、そう思ったんです
なので、せっかく心機一転
あたらしいホームページがこうして完成した訳ですが
僕が見ている喫茶店はあの日のまま
「どんなに時代は変わってもコーヒーだけは変わりません」
そういうのを大事にしてこそ君と僕ですからね
10年以上も前の気持ちを焼き直しさせてもらって
バカにされたのに今も喫茶店を続けている証に
ちゃんとここに残しておこうと思いました
ポエムだ!なんだ!と笑ってくれて構いません
ナルシストだ!なんだ!と呆れてくれて構いません
君は僕を妄想家だと笑うかい?
僕が君にロマンティックあげるよ
君も僕もいつか必ず年を取る
感受性と自己陶酔
自己啓示欲と承認欲求
自惚れ、逆上せ、自己愛、初期衝動
愛とか恋とか夢見てばかりで
けれども決して無駄とは言いがたい
たくさんの経験をしたせいで
「それらの気持ち」は薄まって
いろんな事を忘れてしまって
最後にはきっと
大事な物さえ失ってしまう
いつ頃か分からないけどあの頃は良かったね
何度見返して見ても
あの頃の方が尊く美しく見えるけど
もう二度と
あの頃に戻る訳にはいかないのです
こんな喫茶店に何度も来てくれた皆さん本当にありがとう
こんな喫茶店に一度でも足を運んでくれた皆さん本当にありがとう
こんな喫茶店をバカにしてくれた皆さん本当にありがとう
まだ一度も来てくれた事のない皆さん、心から歓迎します
昔の写真を見るといろんな事を思い出す
昔の自分を見るといろんな気持ちが蘇る
人生は素晴らしい
どんなに情けなくても
惨めでも
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進藤 直樹